私がてんかん治療をライフワークに選んだ理由
はじめまして。森野クリニック院長森野道晴です。クリニックで診療した中で感じたこと、患者さんから尋ねられたことなどこのブログに折々つづっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
まず第1回目は私がてんかん治療をライフワークに選んだ理由について書きたいと思います。
私がてんかん治療を自分のライフワークとしたのはこれら3人の人たちとの出会いがあったからです。
昭和62年に大阪市立大学脳神経外科に入局した当時は教室が主な専門分野として力を注いでいた頭蓋底外科および脊椎・脊髄外科を習得することを目標にしていました。脳神経外科専門医を取得後、海外留学のチャンスが巡ってきたときに同時に当教室にてんかん外科分野を立ち上げることになり、留学先である米国のアーカンソー州立大学で脳神経外科領域の「顕微鏡手術の父」として著名なGazi Yaşargil先生から側頭葉てんかんの低侵襲的手術法の一法である経シルビウス裂到達法による選択的海馬扁桃体摘出術を学んできました。当時、ほとんど顕微鏡手術の術者を務めたことがなかった私にとって、その手術法を目の当たりにしたときは「こんな難しい手術を自分ができるようになるだろうか?」と手術場で先生の厳しい叱咤激励の言葉を聞きながら手術モニターを見入っていたことを思い出します。
帰国してから、当時、東京都立神経病院脳神経外科部長としててんかん外科治療を数多く手がけておられ、日本のてんかん外科治療の草分け的存在であった清水弘之先生に「手術を見学させていただきたい」とお願いしたところ快く承諾いただいたことも大きな出会いでした。その後、東京都立神経病院に国内留学し、清水弘之先生にはてんかん発作型を熟知することが診断に必要なことや手術治療については脳機能解剖を習得することの重要性、てんかん外科治療の厳しさや面白さもご教授いただきました。
3人目の出会いは、初めててんかん手術を行った女性患者さんとの出会いです。この患者さんは検査の結果、左内側側頭葉てんかんと診断し、手術前日に手術内容について説明を行いました。私はてんかんの手術を行うことが初めてであることを伝えると手術を受けることを拒否されるのでは?と心配していました。しかしながら、「私はてんかんの手術を他施設で学んできましたが、実際に執刀するのはあなたが初めてです。」と正直に述べたところ、この患者さんは「今までの人生で、こんなに私の病気に一生懸命に関わってくれた先生はいませんでした。是非、先生に手術していただきたい。」と手術を承諾していただけました。無事に手術は終了しましたが、この出来事で私はてんかん患者さんが背負っている苦難の人生を垣間見た気がし、少しでもてんかん患者さんにお役に立てるのなら、今後の脳神経外科医としての人生をてんかん治療に専念しようと決心しました。
その後、この第一例目の患者さんとの出会いを時折、思い出しながら頑張ってきたおかげで、この20年で1,200手術数を超えるてんかん外科治療を行うことができました。手術が問題なく終了して、術後に新たな神経脱落症状の出現がなくても、発作が抑制できなければ大きな敗北感を味わう厳しいてんかん外科治療にいつの間にか夢中になっていました。ただこの20年間は手術適応例の患者さんに比べると抗てんかん薬の内服で発作が抑制されている患者さんやてんかんかどうかの診断が困難な患者さんに対しては時間をかけてお話ができなかったことが心残りでした。60歳を前にメスを置く決心をし、今後は重軽症を問わず、てんかんでお困りの患者さんのお役に立ちたいと思い、2019年12月3日に新橋で森野クリニックを開業しました。多くの難治性てんかん患者さんとともにてんかんと向き合ってきた経験を活かして、残りの人生をてんかん総合治療に捧げる所存でありますので、何卒よろしくお願いいたします。
「あなたは一人ではありません!私がついています。一緒にてんかんと戦いましょう!」